がっこうのまわり(れきしなど)
人見城跡(ひとみじょうあと)
現地のようす

人見氏の館跡を中心に、戦国期に築城とされる。くわしくは不明。

○人見氏について
・人見村を開いた人
・鎌倉初期(かまくらしょき)から執権(しっけん)北条氏(ほうじょうし)の旗本(はたもと)
・南北朝時代(なんぼくちょうじだい)には足利氏(あしかがし)につき、やがて御家人(ごけにん)に
・人見四郎恩和(しろうおんわ)21才で人見城主(じょうしゅ)に
・恩和73才で楠木正成(くすのきまさしげ)攻め(ぜめ)で討ち死に(うちじに)
・足利尊氏(あしかがたかうじ)に属し(ぞくし)全員移住(ぜんいんいじゅう)


上:人見城の図(山崎一著より)
下:げんざいのようす

人見城跡について
・第一郭(だいいちくるわ):近世(きんせい)の本丸(ほんまる)にあたる。城の作戦司令部(さくせんしれいぶ)

・第二郭(だいにくるわ):近世の二の丸(にのまる)にあたる。本丸の次に重要(じゅうよう)
・帯曲輪(おびぐるわ):大きな郭(くるわ)をとりかこむようにつくられた防衛施設(ぼうえいいしせつ)
・虎口(こぐち):城の出入り口。敵(てき)の進入(しんにゅう)をふせぐ
・馬出(まいだし):虎口をまもる
・水の手(みずのて):人馬(じんば)ののみ水をえるばしょ。
・櫓(やぐら):まわりをみわたす

○げんざいのようす(表示)
@うぐいす井戸
Aたて堀
B大藤
C馬だし
D土居
Eたて堀
F第三郭
Gやぐら台
Hおびぐるわ
Iたて堀
J土居
K第四郭


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