碓氷関所跡


東山道が開け万葉集に防人の歌がよまれた碓氷峠は、東日本から西日本への通過地点として交通の要路でした。この山裾に関所ができたのは九世紀末の平安時代で関東が乱れ運輸交通上警備の必要から関門が設置されました。碓氷峠東側の地形は関東を守る重要な地点でした。江戸時代になって箱根と共に天下の二大関所であった碓氷関所は、中世に関所が置かれた関長原(安中市松井田町大字横川関長)に仮の番所が作られたことが始まりでした。地形的にも堅固な上横川の狭間に新しく関所を作り、そこに移りました。碓氷関所と名前が変わったのは、宝永五年(1708年)七月とされています。                                                                                    

「松井田町史」による

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