人見貯水池(ひとみちょすいち)
![]() 天明(てんめい)3年(1783年)の浅間山の大噴火(だいふんか)の被害(ひがい)で苦しんでいた農民達に新しい田を作るため、名主の松本三左衛門(まつもとさんざえもん)が、文化(ぶんか)、文政(ぶんせい)(1804〜1818年)にかけて、自分の土地を使って、ため池を造ったのが始まりでした。昭和8年(1933年)に松本松三郎が中心となってため池を広げる工事を行い、今のような人見貯水池が完成されたそうです。おかげで、田の水にこまらなくなりました。 |
今は、田がへり、人見貯水池の水を利用する人も少なくなってしまいました。こわしてほかのものを造った方がいいという意見もありましたが、昔の人たちが力を合わせ、苦労して、造ったものを伝えていくことに決まりました。堤を考える会を作り、会員20名で水を調節したり、土手の草かりをしたりして守っています。田のために水を使う人がいる間は、水をたやさないようにしていきます。将来は、堤でかっているコイでつり大会をしたり、蓮(はす)の花をきれいにさかせたりして、地域のいこいの場にしたいと考えています。 |