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 人見堰(ひとみぜき)
 
           

  磯部の領主(りょうしゅ)仙石因幡守(せんごくいなばのかみ)が、水不足に苦しむ農民たちのため碓氷川の水を引き、柳瀬川とつないで川の水を田に運べるように造った用水路です。人見村に碓氷川からの取り入れ口を造りました。寛文(かんぶん)6年(1666年)に工事が始まりましたが、今のように機械はなく、すき・じょれん(土をほる道具)やじゃかご(川をせき止める道具)を使って、人の力だけで行われたので、なかなかはかどりませんでした。そこで、因幡守は、工事が早く終わるように磯部を幕府(ばくふ)に返して、工事をしてもらうことにしました。寛文13年(1673年)に工事が再開され、17日間、のべ22828人の人手を使い、全長2819mの用水路が完成したといわれています。その後は、安心して水を使えるようになりました。300年以上前の人たちが造った人見堰は、修理されて、今でも農業用水や工場用水に使われ今のわたしたちのくらしにも役立っています。